お別れ

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祖母が他界してしまった。急だった。

臨終には立ち会えた。病院で数時間は一緒に過ごせた。それだけは良かった。
でも、前日に実家に寄っていて顔を出す機会はあったのに、祖母は熱があったので逢わなかった。病院に行く間、それを悔やみました。

そしてお通夜、お葬式。

父はかなりのショック&体調悪いので、打ち合わせには経験もかねてほぼ出ました。

出席者、お引き物、オードブルの数、祭壇、棺のタイプ、花の数、お坊さんの手配、家の片付け

亡くなって、1時間後に葬儀屋が来てから決めることがいっぱいだ。

それもタイムリミットがすぐそこだ。悲しむ暇もないというのを体験しました。

悲しく、忙しい。

心の行き場が落ち着かず、家族でヘトヘトになりました。

そんな中、お通夜が始まる数時間前、落ち着いた時に

今年から週二回預かってみて貰っていたデイサービスの方が弔問にきた。

「来てもらっていた時の写真です。」「おばあちゃん楽しんでおりましたよ」

預かってもらっていた先の写真みて、本当にいい笑顔で笑っていて、号泣した。

そこでは楽しく過ごせていたようで本当に良かった。(後に施設も見学させてもらった。)

でも同時に、自分は忙しさにかまけて、あまり顔を出さなかったことを少し後悔した。

肺炎したり、骨折したりしても復活して最近は杖使って急な階段を降りたりしていたので

歳は歳だったけど、急に逝ってしまったのは平たく言ってしまうとびっくりしたとしか言いようがなかった。


お通夜が終ったその夜。母と3人でおばあちゃんと同じ部屋で寝ました。

子供の頃は夕飯が終ると、一階の祖父母の部屋に降りていき、勉強したり寝たりしていた。

じいちゃんが亡くなってからは、自分も大きくなっていたこともあり、一階で寝ることは

ほとんど無かったかな。こんな形にはなったけど祖母を感じて寝る久々の

そして最後の夜となった。


翌日、出棺。

棺に封をしたらもう触れることができないので、最後に頬を触った。

来る人皆言っていたけど肌がきれいで、それは最後まで変わらなかったです。

それと、自分たちの結婚式とか家族のハイライトの写真を何枚か入れて、

裏にそれぞれメッセージを書いて、封筒に入れました。


この日、台風18号が直撃していてどうなるかと思ったけど、それほど影響がなかった。

むしろ火葬場に向かうにつれて明るくなっていき、祖母の人柄のような穏やかな日が射してきた。

火葬場での最後のお別れが祖母の姿を二度と見られないと思うと、なんか一番辛かった。

待っている間、徹夜して祖母の写真をまとめたアルバムを参列者に回覧した。

ともすると待っている1~2時間シーンとしてしまう所かもしれないけど、

参列者自身も写っている祖母との写真をみて、懐かしんだり思い出話をしているようで、良かった。

午前3時までアルバムを作ったのは俺だけど、アイディアは姉だ。家族で色々協力し合った。

昭和初期からの写真もたくさん撮ってあって、選んでいて自分自身も懐かしんだ。

お骨を拾って、午後はお寺で葬儀。

そこでもいろいろと対応はあって、滞りなく進めていくので精一杯であった。

その後、実家にもどり親戚などと一席。疲れているはずだけど、

母は祖母についての思い出話を楽しく話し
(最後まで漬け物の味付けの分量教えてくれなかったwとか)

来て頂いた人を最後までもてなしていた。途中火葬場で具合が悪くなってたりしていたが、

すごい人だと思った。


祖母を送る行事はこうして終っていった。

家族で今までのこと、これからのこと話す機会ができたことで

家族に対して、なあなあで過ごしちゃいけないなと気づかせてもらいました。

悲しい出来事、祖母に対しての後悔もありましたが、残った家族で力を合わせていくと再確認できたかもしれません。
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